2010年代振り返り

Shintaro Shiba
5 min readJan 1, 2020

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2020年になったので、手早く自分の10年間を振り返る。

2010(高校3年)

どの大学に行こうか、何を勉強しようか迷う。理系だったけど何かをつくる前に、そもそも何が社会にとって良いことなのか、歴史とは、倫理や哲学とはなんなのか、本を読むとかだけではなく、ちゃんと「どういう問いを立てるべきなのか」を知りたいな、と思う。

そのためには、そもそも人間とはどういう生き物なのか、それに対して人間はどういう問いを立ててきたのかを勉強したいなと考える。

2011(大学1年)

入りたい認知神経科学の研究室がなんとなく二つ候補に上がる。それを元に第一志望の大学と学部を決めて、生物を勉強しないといけなくなる(数学と物理と化学がずっと得意で生物は苦手だった)わけだけど、無事に大学に合格して入学。

2012

進振りで、その興味のあった研究室2つがある認知行動に第一希望で入る。そこそこ競争が激しかったこともあり、とても個性的で優秀な同期に出会う。

2013

音楽を頑張る。配属希望で、高校生の時から行きたいなと思っていた第一希望の研究室に入れる。

2014

音楽を頑張る。卒論を書く。学部の授業、自主ゼミ、院試の勉強、これらをこの頃にちゃんと勉強できてとてもよかった。

特に生物系のことだけでなく、進化、生態、発達、認知、心理まできちんと勉強できたのがその後の糧になっている。(スタンス強めに発言するならば)「脳を作っても脳のことなんてわからない」という科学と工学の問題の分離は周囲の工学系出身者と大きく異なる考えだし、どこまで知っているのか知ったおかげで、問いを考えるときに中途半端な人間科学の知識に振り回されなくなった

2015(大学院1年)

修士に進む。何かを作ること、問いを解くこと、社会に興味が向き始める。NTT研究所でのインターンやPFNの人たちにも出会い、ソフトウェアを学び始める。数学、統計、コンピュータ、機械学習を勉強し始める。数学科の講義を脈絡なく突然取りにいったら試験がめちゃ解けてダントツの成績を取れて、やっぱり数学との相性よかったんだな〜と思ったりしたのは多分この頃。

でも、今だから思うけど、すぐに情報科学方面に進むよりも、苦手な生物にちゃんと向き合っていたのは自分にとって必要な時間だった。

2016

リクルートのインターンをする。アメリカに行く。

一時期研究がやばくなりかけるも、持ち直して修論を書きあげる。経験が少ないうちは「できる」という感覚を得づらい実験系生物で、目の前のことに対してまずきちんと手を動かす、というのは研究室で学んだ重要なことの1つだと思う。

当時内閣府や科学技術政策にいらした先生方に、社会と科学と技術の関わりについて考えたり海外でも発表する機会をもらう。

2017(社会人1年目)

修士を卒業して色々考えてトヨタに入社する。営業や工場は自分が触れてこなかった価値観だし、カルチャー、会社制度、企業が世間から求められることはなんなのかなど考えたこともなかった。国や政府から求められる雇用創出も含めた企業の責任や、国による技術政策の違いについても知り始める。

単なる外国制度礼賛や日本の社会問題の指摘や悲観だけでなく、日本が日本であることに対する自覚を持ち始める。深圳に旅行したりもした。

2018

自動運転チームで本格的に働き始める。技術側の人間として、今できていないことを、将来どう見積もっていくか。何を切り出して、どの部分をどうやってビジネスに落とし込んでいくか。自分がやりたいことを通していく強さと自分に何が苦手なのかを学ぶ。

会社に正式な副業許可を通して、自分でチームを組んで未踏アドバンストに参加する。自分で事業を考えることや、言うは易い(なんて易いのか!)「技術の社会実装」とはどういうことなのか、ブルーオーシャンを攻めるとはどういうことなのかを触りだけ経験する。イスラエルに行ったりして、技術シードへの投資が日米イスラエルでどう違うのかなどを知ることができたりもした。

2019

東京に戻ってきて、より現代的なソフトウェアエンジニアリングを身につけ始める。大半が外国人の部署になり、違う前提の中で、一緒にゼロから制度も組織もサービスも作っていく渦中にいる。異文化の中でちゃんと成果をだしながら、エモい関係性を構築し、政治をそこそこにやることを理解し始める(外国人にもやはり政治は全然ある)。

色んな経歴の人にときに助けられながら、自分について知ること、他者を理解すること、そして採用に対してもっと積極的になることを考える。

未踏の内容から派生して、社会人博士を始める。

それぞれの1年だけを見ると進んでいるんだか戻っているんだか遠回りなんだかよくわからなくなりそうな時もあるけど、数年スパンで見ると繋がっていることもあったり、その都度色々な人に少しずつ助けてもらった結果意外とブレていなかったようにさえも思える。

グローバルに行ってもトレンドが多少変わっても、ローカルですごく個人的なストーリーを根っこに持っていられるための強さとコミュニティを作って持っておくことが大切。

何がしたいか、どうあるべきなのかという延々と後退できてしまう問いに対して「わからない」と簡単に言わないこと、やりきっていくこと、常にuncomfortable zoneにいること、友人を大切にすること、ポジティブでいること。

あとアメリカは毎年行っているけど、アメリカだけじゃなく、これからもどんどん色んな国に行きたい。無謀な願いとしては、生きているうちに100ヶ国見にいきたい。

今年もよろしくお願いします。

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Written by Shintaro Shiba

Software Engineer. Love music, dance, travel, and technology. https://twitter.com/s_24_

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